昭和40年(1965年)ドラフト入団選手で打線組んだ

元年となったNPBの1965年ドラフト
戦力均衡と契約金の高騰を抑えるためNPBにも1965年よりドラフト制度が導入された。対象選手間では「意中の球団に入れない」「契約金が低くなる」など概ね不評で、ドラフト前から入団拒否宣言も相次いでいた。各球団ごとに獲得希望選手の名簿を提出し、同順位で重複した場合はくじ引きという形式だった。時代背景もあったものの、蓋を開ければ全132指名選手中半分にも満たない52名しか入団に至らないといった、決して問題がないとは言えないドラフトであった。
1965年ドラフト選手軍
予想オーダー
# | P | PLAYER | DR | 年 | 率 | 本 | 点 | 盗 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 二 | 住友平 | 急3 | 73 | .263 | 10 | 62 | 21 | .754 |
2 | 中 | 飯田幸夫 | 近4 | 70 | .237 | 7 | 37 | 19 | .661 |
3 | 三 | 藤田平 | 神2 | 81 | .358 | 11 | 70 | 2 | .919 |
4 | 右 | 長池徳二 | 急1 | 69 | .316 | 41 | 101 | 21 | 1.010 |
5 | 一 | 水谷実雄 | 広4 | 83 | .290 | 36 | 114 | 2 | .914 |
6 | 左 | 広野功 | 中3 | 66 | .277 | 13 | 57 | 3 | .777 |
7 | 指 | 江藤省三 | 巨3 | 72 | .306 | 2 | 16 | 0 | .772 |
8 | 遊 | 浜村孝 | 西1 | 68 | .237 | 3 | 18 | 6 | .609 |
9 | 捕 | 新宅洋志 | 中2 | 67 | .215 | 6 | 24 | 1 | .582 |
投手陣
P | PLAYER | LR | DR | 年 | 勝 | 敗 | S | KK | 防 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
SP | 鈴木啓示 | Lo | 近2 | 78 | 25 | 10 | — | 178 | 2.02 |
SP | 堀内恒夫 | Ro | 巨1 | 72 | 26 | 9 | — | 203 | 2.91 |
SP | 木樽正明 | Rs | 京1 | 71 | 24 | 8 | — | 168 | 3.45 |
SP | 白石静生 | Lo | 広2 | 70 | 13 | 11 | — | 124 | 2.83 |
SP | 森安敏明 | Rs | 映1 | 67 | 15 | 17 | — | 213 | 3.45 |
SP | 佐藤元彦 | Rs | 京7 | 68 | 12 | 13 | — | 88 | 3.70 |
RP | 淵上澄雄 | Ro | 洋3 | 68 | 3 | 3 | — | 35 | 3.95 |
RP | 牧憲二郎 | Ro | 南1 | 72 | 3 | 3 | — | 19 | 3.23 |
RP | 川藤竜之輔 | Lo | 京9 | 68 | 3 | 4 | — | 27 | 2.41 |
RP | 北角富士雄 | Ro | 中外 | 68 | 3 | 1 | — | 60 | 3.53 |
戦力考察
まずは投手からいこう。通算317勝の草魂こと鈴木啓示、同203勝の悪太郎こと堀内恒夫、さらに最多勝や最優秀防御率にも輝いた木樽正明がこのチームの三本柱だ。さらに鈴木に続く左腕として安定感のある白石静生。豪腕投手の森安敏明はあの江夏をして「俺より速い」と言わしめたほど。22与死球はシーズン最多与死球の日本記録、黒い霧事件で永久追放となった選手の一人でもある。
次に打線。特筆すべきはクリーンナップの破壊力だろう。3番の藤田平は阪神一筋で2064本安打を築いたレジェンド。二桁本塁打も11度記録(最多は28本)しているが高打率で首位打者を獲得した81年を選んだ。4番はミスターブレーブス・長池徳士。9年連続25本塁打、うち40本以上4度、3度の本塁打王、3度の打点王など輝かしい成績を残した。5番は通算244ホーマーの水谷実雄。広島時代に首位打者、阪急時代は打点王に輝いている。
この3人の前に機動力のある住友平と飯田幸夫を1・2番に、6番にはパンチ力のある広野功を置いた。下位打線は代打の切り札として.306を残した江藤省三、さらに浜村孝、新宅洋志と続くがいずれも規定打席に到達した経験はなく迫力不足は否めない。
守備については成績年には目をつぶり少し配置転換している。本来はライトの飯田だが主砲の長池に配慮しセンターへ。藤田に関してはショートやファーストが本職でありダイヤモンドグラブ賞も3度受賞している名手だが入団時に経験のあるサードへ。水谷と広野はお互いファースト・レフトの経験があるので入れ替えてもよいかもしれない。一応、水谷の成績が晩年のものなので一塁に置いた(実はその年は指名打者が多かったのだが…)
この年の大物入団拒否選手
P | PLAYER | 球団/順位 | 所属 | 進路 |
---|---|---|---|---|
捕 | 加藤俊夫 | 大洋② | 仙台育英高 | 日本軽金属→66サンケイ① |
投 | 北角富士雄 | 阪神③ | 東邦高 | 同年、中日ドラフト外 |
外 | 谷沢健一 | 阪急④ | 習志野高 | 早稲田大→69中日① |
投 | 江本孟紀 | 西鉄④ | 高知商高 | 法政大→熊谷組→70東映D外 |
投 | 平松政次 | 中日④ | 岡山東商高 | 日本石油→66大洋② |
遊 | 阪本敏三 | 東映⑤ | 立命館大 | 河合楽器→66阪急⑤ |
捕 | 福島久 | 広島⑧ | PL学園高 | 大昭和製紙→66大洋D外 |
外 | 得津高宏 | 近鉄⑧ | PL学園高 | クラレ岡山→66東京⑥ |
三 | 竹之内雅史 | 大洋⑨ | 日本通運 | 日本通運浦和→67西鉄③ |
三 | 島谷金二 | サンケイ⑨ | 四国電力 | 残留→*68中日⑨ |
この年に入団拒否した選手でのちにプロで活躍した選手を並べた。先に断っておくと、学歴信仰の強い時代背景やそれぞれに事情があったはずなので「入団拒否」は必ずしもネガティブなものではなく「入団」と同じぐらい尊重されるべき選択肢だったと想像している。
一連の関係選手を通してもっとも得をした球団は中日だろうか、あるいは大洋か。中日は大投手・平松にフラれたが大打者の谷沢・島谷を獲得で救われた。その平松が入団したのが大洋。入団拒否の加藤の穴は同じ捕手の福島で埋めたと考えれば悪くないが、さらに竹之内にも断られてるためやはり中日の方がお得か。ちなみに1982年、加藤はトレードで大洋入りし福嶋と同僚となる。阪急はのちに2000本達成する谷沢を逃した分は大きいが、早々に長池と住友・翌年に阪本を獲得できたほか、もっと長い目で見れば水谷や島谷が長池の衰えと入れ替わりで阪急入りし活躍しているため通算で見れば阪急が利を得たと言える。
もしこれらの選手たちがそのまま入団していたら…長池・谷沢の並びのエグい阪急打線なんか想像してしまう。またこの1965年ドラフト選手軍の打線もグッと厚みを増してたことは言うまでもない。当初の打線のイメージほどは不作の年とは言えず、時代が時代なら物凄いドラフト世代になった可能性がある。最後にそんな夢の1965打線を公開しておひらきとします!
1965年ドラフトオールキャスト軍(指名された全ての選手)
# | P | PLAYER | T | 年 | 率 | 本 | 点 | 盗 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 遊 | 阪本敏三 | 急 | 69 | .284 | 13 | 40 | 47 | .748 |
2 | 一 | 藤田平 | 神 | 81 | .358 | 11 | 70 | 2 | .919 |
3 | 左 | 谷沢健一 | 中 | 80 | .369 | 27 | 80 | 2 | 1.066 |
4 | 中 | 長池徳二 | 急 | 69 | .316 | 41 | 101 | 21 | 1.010 |
5 | 指 | 水谷実雄 | 急 | 83 | .290 | 36 | 114 | 2 | .914 |
6 | 三 | 島谷金二 | 急 | 79 | .312 | 27 | 102 | 4 | .926 |
7 | 右 | 竹之内雅史 | 神 | 79 | .282 | 25 | 66 | 4 | .876 |
8 | 捕 | 加藤俊夫 | 日 | 73 | .293 | 12 | 46 | 3 | .842 |
9 | 二 | 住友平 | 急 | 73 | .263 | 10 | 62 | 21 | .754 |

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