今岡誠のキャリアハイ

今岡誠のキャリアハイ

当サイトでは選手を選考する際に原則キャリアハイの成績を基準にしています。ではキャリアハイの定義とは?実はそれも曖昧で明確な基準は設けてなく、乱暴な言い方をしてしまえば「選手によりけり」。分かりやすくOPSや本塁打数で判断したり、バランス重視の場合もある。なるべく選手の特徴をふまえその年の守備傾向なんかも判断材料にしてます。そんな中でも全盛期を絞りづらい選手をピックアップして紹介していくコーナー!今回は阪神・ロッテで活躍した今岡誠選手。

ではいくつかの候補を挙げてみます。

Y T # P G AVG HR RBI SB OPS
03 阪神 1 120 .340 12 72 1 .865
04 阪神 3 138 .306 28 83 0 .865
05 阪神 5 146 .279 29 147 1 .834
Y=年、T=所属、#=主な打順、P=定位置(守備)
G=試合数、AVG=打率、HR=本塁打、RBI=打点、SB=盗塁
※赤文字はリーグトップ

まずは実働期間の中で02年(.317・15本・56打点)から表の3年間を足した02〜05年の4年間が今岡選手の全盛期と言えるだろう。

首位打者として優勝に貢献した03年

03年は星野監督体制2年目のシーズン。02年に故障の赤星に代わって1番に抜擢されるとリーグ5位の.317の好成績を残しレギュラーを手中に。03年も引き続き1番セカンドとして首位打者に輝き歴史に名を刻んだ。また二塁打の数が02年40個、03年35個と中距離砲としても開花、出塁率も02年.355、03年.374と優秀、脚力はなくても1番打者として機能した所以である(2番を務めた俊足・赤星のサポートも忘れてはならない)。さらに本塁打も連続2桁を記録し、暗黒時代として長らく低迷していた阪神にとって85年の真弓明信以来となる確実性とパンチ力を備えた1番バッターの誕生であった。

中心打者として成長著しい04年

04年は岡田新監督のもとシーズン途中から3番に抜擢されると、そのまま定着。打率こそ下がったものの3割はキープし、その他の成績は見るからに成長を遂げた1年だった。

とんでもなく打点を稼いだ05年

このまま3割30本超えのスラッガーが完成形なのか、掛布雅之、岡田彰布以来となる生え抜き3割30本の達成も期待される中、今岡誠は違った方向で進化を遂げる。この年の記録で見逃せないのはプロ野球歴代3位となるシーズン147打点。これは藤村富美男の球団記録であった146打点を更新する記録でもあった。チャンスには滅法強く、得点圏打率.371、得点圏での本塁打15本、満塁打率.600、満塁打点49、満塁本塁打4本という「チャンスでしか打たない」を体現したバッターとなる。ちなみに非得点圏では打率.239・本塁打14という成績だった。この成績傾向や天才的な内角さばきを見て人は彼のことを「変態」と呼んだ。

結果発表

結論から言えば05年の成績こそ今岡誠のキャリアハイと言いたい。この文面の熱量を見てもお分かりだろう。ファンにとっても印象深い。もっとも、セカンドの選手として打線に配置する場合は、首位打者を獲得した「03年」と完成度の高い「04年」との争いとなるだろう。この場合はその他の選手とも比較しながら打順適正で判断できたらと思う。阪神ファンの場合は優勝補正が働きそうではあるが。

今にして思えば、今岡誠という選手は不思議な魅力のある選手だった。レギュラー争いから始まり優勝争いのさなか、また守備位置や監督も変動していく中で、打順も1番・3番・5番(吉田監督時代は2番で.293)とそれぞれの打順に順応し結果を残してきた。役柄によって違った演技力を発揮する俳優が「カメレオン俳優」と称されることがあるが、今岡誠はまさに「カメレオン選手」「カメレオンバッター」の称号が相応しい。唯一相性の悪かった野村監督時代は起用法が定まっておらず、今岡自身も迷走していたのかもしれない(主に起用された6・7番っぽい成績に順応したとも解釈できるが)。

心技体が整った状況であれば、確たる位置をイメージし期待することで理想の形で結果を残してくれる選手ということなのだろう。もしかすると、彼に4番を任せていたら3割・30本・100打点以上をマークしていた年もあったのかもしれない。ドリームチームを組む際は下手に下位打線などに置かない方がよさそうである。(現時点の記事で2012年引退打線で8番に入れてしまっていた…しかも05年の成績なのにセカンドを守らせるという暴挙…汗)