ウルトラ侍ジャパン(1950年ver)

ウルトラ侍ジャパン(1950年ver)

夢とロマンの1950年

1950年代ベストナインをまとめていると、1950年前後がとんでもない打高のシーズンだったことがわかった。その1950年の成績を元に代表チーム「侍ジャパン」が当時あったらどうだっただろうと想像しながら1チーム構成してみた。選抜基準は1950年の成績であることからシーズン後の大会を想定している。

1950年代ベストナイン
1950年代ベストナイン
武士(もののふ)の時代よのう。

1950年・侍ジャパン(仮想)

1950年に侍ジャパンがあったらという想定で組んでみた。オリジナル背番号・開幕時点の年齢も合わせて掲載したので合わせて楽しんでほしい。

予想オーダー

#PPLAYERNAMELRTNoAgAVGHRRBISBOPS
1大下弘L328.339137218.961
2木塚忠助R1426.30184778.755
3別当薫R2530.33543105341.068
4藤村富美男R1034.36239146211.139
5小鶴誠R928.35551161281.179
6岩本義行R238.3193912734.956
7川上哲治L1630.3132911934.931
8土井垣武R1929.322157216.894
9千葉茂R631.29084516.802

ベンチメンバー

PPLAYERNAMELRTNoAgAVGHRRBISBOPS
荒川昇治R2426.26835125.739
伊勢川真澄R2229.29613574.800
西沢道夫R1529.311461354.981
本堂保次R832.306128413.780
白石勝巳R132.30420587.878
青田昇R526.3323313429.941

PPLAYERNAMELRTNoAgAVGHRRBISBOPS
多田文久三R2929.2173170.684
真田重蔵R1827.3142362.839
野口二郎R2630.2593418.619

投手スタッフ

PLRPLAYERNAMETNoAgWLKERAWHIP
SPRo真田重蔵182739121913.051.06
SPLo荒巻淳13242681502.061.07
SPRo藤本英雄173226141562.441.05
SPRo別所毅彦112822111572.551.17
SPLo大島信雄2729204702.031.21
SPLo柚木進213019101322.791.21
SRRo野口二郎2630159613.161.12
SRRo多田文久三29291491382.911.25
RPRo林義一123018111582.401.19
RPRo緒方俊明282820131012.981.20
RPRo米川泰夫232323232073.241.22
RPLo金田正一34178121433.941.57
CLRo杉下茂20252715 2093.201.24
いずれも1950年の成績
(共通)P=ポジション、No.=背番号、LR=利き、Ag=年齢
(打者)AVG=打率、HR=本塁打、RBI=打点、SB=盗塁
(投手)SP=先発、SR=先発救援、RP=救援、CL=抑え
W=勝利数、L=敗戦数、S=セーブ数、K=奪三振数、ERA=防御率
※背番号は空想でつけてみたもの
赤文字はリーグ最高

セ・パ優勝チームから真田荒巻、左右のエースが揃った。荒巻は新人。捕手も優勝チームからの2人がマスクをかぶる。おそらくバッテリー運用は相性よく優勝チームバッテリーとなるだろう。先発6本柱は強豪チームのエースで埋まった。ブルペンスタッフは当時分業制もなくデータも少ないため、その他の先発投手で揃えた。野口多田は野手としての出場も多く緊急時の出場もある。

後ろ3枚も本職ではなく独断で選出した。まずは無尽蔵のスタミナを誇る米川。パの奪三振王でもあり大車輪の活躍が見込まれる。左の金田は大抜擢。弱冠17際の即戦力サウスポーがどこまで通用するのか見もの。抑えの切り札はセの奪三振王・杉下。フォークの神様が試合を締める。若手三人衆「SKY」に注目が集まる。

一塁手はベストナイン外から川上が入った。その川上の連続ベストナインを阻んだ西沢を控えに回し、神様・川上をスタメンに。これには野手の左バッターが大下川上の2名しかおらず、スタメンのバランスを考慮したため。二塁の千葉本堂は拮抗する争い。105の四死球を選び出塁率.428を誇った千葉を組み込み嫌らしさのアクセントを追加した。ショートは木塚の足と肩が光る。

外野へ目を移すと、首位打者の大下が「天才スター」なら、別当小鶴のコンビも三拍子揃ったスター。外野は青田を含め華のある面々となった。

1番に大スターの天才・大下。2番は韋駄天・木塚と積極的な布陣。3番・4番は前年阪神で一緒だった別当藤村の並び(藤村は兼任監督、小鶴は毎日に引き抜かれてるので関係性がよかったかは疑問だが)5・6番も松竹の3・4番「トリプルスリーコンビ」小鶴岩本がそのままの並びで入る。7番は左バッターの川上を優先したが、相性や調子で西沢スタメンの選択もあり得る。また川上を5番にあげれば3番から6番までの主軸にいい意味でワンクッション置くことができ、攻撃面でのバリエーションも増えるだろうか。8番・9番は守備の要の選手、土井垣千葉。経験もあり黒子的な活躍を期待するには充分な人選だろう。

年齢分布

PITCHINGSTAFF年齢BATTINGSTAFF
 35以上岩本(38)
 34藤村
 33 
藤本32本堂・白石
 31千葉
柚木・野口・林30別当・川上
多田・大島*29西沢・土井垣・伊勢川
別所・緒方28大下・小鶴
真田27 
 26木塚・荒川・青田
杉下25 
荒巻*24 
米川23 
金田*(17)22以下 
*印は新人

バスの時刻表のようになってしまったが、こうして年齢分布を眺めて想像するのも面白い。投手陣は各世代に分散されており理想的だとも言える。野手は投手陣よりも平均年齢が上のようだ。岩本は当時でいえば超ベテラン。選手寿命も現代より5年は短かろう時代でのことだ。38歳でトリプルスリーを達成したのだから恐れ入る。この人に年齢的常識は当てはまらないのだろう。その岩本より21歳年下、のちに400勝を達成する金田を代表メンバーに大抜擢。歴史的結果ありきの部分も否めないが、8月以降に8勝を挙げたことを考えると、この抜擢もあながちありえないことではない。

全体的に見れば「28-30前後が脂の乗ったいい時期」これには時代も関係ないようだ。

背番号秘話

#PLAYERS#PLAYERS#PLAYERS
 1白石 勝巳1113荒巻 淳1923米川 泰夫
 2岩本 義行 14木塚 忠助 24荒川 昇治
 3大下 弘 15西沢 道夫 25別当 薫
235青田 昇 16川上 哲治1826野口 二郎
36千葉 茂 17藤本 英雄1627大島 信雄
248本堂 保次 18真田 重蔵1128緒方 俊明
39小鶴 誠 19土井垣 武1929多田文久三
 10藤村 富美男 20杉下 茂 34金田 正一
 11別所 毅彦 21柚木 進   
 12林 義一 22伊勢川 真澄   
私的に割り振った背番号。
グレーの数字は所属球団での背番号。

侍ジャパンで同じユニフォームに袖を通すため背番号の設定も行った。重複した背番号もあった場合は筆者の独断で割り振った。花形選手の「3」正捕手の「19」などまだ長島野村がデビューする前の出来事である。

重複が多かったのは「3番」だった。単純に年長者優先でもよかったが、当時の大下は国民的な人気を誇ったことに配慮して大下を優先。内野手の千葉は3の倍数で「6」、外野手の小鶴は3の倍数で「9」とした。

「24」が荒川本堂で重複したので、内野手の本堂に以前付けていた「8」を渡した。

投手で最も重複したのは「11」。実績のある別所に「11」を託し、左のエース格の荒巻にはサウスポーらしい「13」を、緒方は以前付けていた「28」とした。野口は名前の「ジロウ」の当て字で「26」、同じく多田も名前の「フクゾウ」の当て字で「29」を与えた。大島には残りで最も若い番号の「27」を渡した。

個人的な考え方として、野手は1桁、投手は2桁というのがベースにあり、その調整も行った。意外にも人気の1桁番号が空いていて、本来なら23番の青田を2+3=5ということで5番に、23歳で23勝23敗と23に縁のある米川のために「23」をあけた。

ラッキー「7」不在なのが心残りではある。無理やり埋めるとすれば、スピードスターの木塚を「7」にし、沢村栄治らが背負った「14」を荒巻大島に渡すだろうか。好みによるか。

木塚西沢川上土井垣など野手で10番台の投手のイメージが先行する番号を付けた選手がいるのも時代の特徴か。全体的にはなかなかバランスの良い配分にまとまったと感じる。